相手が誰であろうと盛り上がる、普遍的な話題はとても高尚だと思う。
それに比べ共通の思い出がなければ成り立たない類の話は、楽をしていると思うからだ。
思い出話は内輪受けに過ぎない。
内輪受けは低俗だ。
それよりももっと未来思考で、グローバルで、エバーグリーンで。
ファミレスで隣の席のカップルが聞いても共感するような強度を持つ話がしたいのだ。
学生時代の友人から電話がかかってきた。
もしもし、元気?
今何の仕事してるんだっけ?
微妙に浅い会話しかできないのは、久しぶりに話すからだろうか。
彼で思い出すのは、中学時代にマンガ雑誌でエッチな描写のあるページを一緒に読んだこと。
そのマンガのタイトルを、開いたページの再生紙のざらつきを、並んで読んだ彼の部屋の暑さを今も覚えている。
彼と私を繋ぐもの、それは紛れもなく共に過ごした時間の積み重ねだ。
今は離れた二点が、同じ線をたどった時間。
いまこそお前と思い出話がしたい。
君と、あなたと思い出話がしたい。
共に過ごした時間を祝福しよう。