地方の商店街にたたずむパチンコ店。
その風景を切り取って見つめた。
商店街のパチンコ店の趣
ある日通りがかった地方の駅前商店街。
サタデーナイトにもかかわらず、地方の商店街の多くがそうであるように静かな街並み。
そんな中ネオンを放つ一軒のパチンコ店。
平成生まれの私はパチンコをやったこともなければ、パチンコ店に入ったこともない。
しかしこのとき見たパチンコ店には心を掴まれた。
私の住む新潟では郊外に大きなパチンコ店が多く、CMもジャンジャン流れている。
だが、このパチンコ店に出会って以来、このような商店街に立地する坪数小さ目なパチンコ店のたたずまいを目に焼き付けたいと思った。
↑あまりに気になったので別日の昼間にも訪れた
どうやら「レトロパチンコ店」に惹かれる方は多く、「#懐パチ探訪」という素晴らしいハッシュタグもあるようだ。
だが、先に述べたように私が気になるのはレトロパチンコ店の中でも、郊外ではなく、商店街に立地するパチンコ店。
↑上の写真の店舗の裏側から
商店街に立地する、どこか懐かしい雰囲気を残すパチンコ店。
そんなパチンコ店を探し、訪れる日々。
だがそのほとんどがすでに閉店していた。
↑建物の意匠がすばらしい
「若者の○○離れ」
パチンコもその一つだろう。
そして私もまた、その産業にお金を落とすことなく生活している。
ただ外観を撮影して浸るのは単なる悪趣味か。
↑駅前通りにたたずむ
↑「ラッキーホール」いい名前
パチンコをやらない私は、その扉の向こうにある享楽を知らない。
そしてこの先もその扉を開くことはないのだろうなとなんとなく思う。
どんな世界が待っているのだろうか。
レトロパチンコ店を探す旅
昔は珍しくなかったであろう、商店街のパチンコ店。
新潟県の旧栃尾市を訪れた際に見つけたまちの案内図には、複数のパチンコ店の名前が。
↑年季が入っていそうで、ここに書いてある店舗が現存するかは怪しいが…
この地図を元に記載のあった三軒のパチンコ店を訪ねてみよう。
↑案内図の「パチンコ」の文字を頼りに探してみる
↑まずは1軒目「パチンコシンセイ」。外装がきれいで、商店街の並びに立地していないので個人的にはグッと来ないが…
2軒目は商店街の並びに。
↑外装は新しめだが、商店街に立地し現在も営業していることが稀有
そして3軒目。
先の案内図ではこの辺にもパチンコ屋があることになっているのだが…
うーん、わからない。
付近の建物を一軒一軒あたってみる。
↑お!?
↑これがパチンコ屋の名残だろうか(まったく違ったらゴメンナサイ)
私が住むまちの商店街についても調べてみた
そして私が住む新潟県は見附市というまちの商店街についても調べてみた。
昭和50年の住宅地図によれば、商店街通りに4軒のパチンコ店が軒を連ねていたようだ。
↑昭和50年ごろのパチンコ店の立地
そのうち、2店の営業当時の店舗を映した画像を入手することができた。
↑この画像だけで昇天しそう
これを持って同じ場所で現在の様子と見比べてみよう。
パチンコ屋の名残はどちらも今はない。
だけど、過去の写真を見ながらだと、当時の賑わいが少しだけ想像できた。
ほか1店舗はアーケードに看板が残るのみ。
諸行無常である。
以下レトロパチンコ店巡り、ダイジェストでご覧ください
いつのまにかカメラロールには、商店街の並びに立つパチンコ店の写真ばかりが。
どう役立ててよいかわからないそれらのコレクションを見ていただきたい。
↑鉄道の要衝、新潟県は新津駅前にて。薄く「パチンコ」の文字が残る。
↑店舗は今はなく。数年前までアーケードもあったようだが撤去されてしまった
小学生のころ、幼馴染のとしくんと学校からの帰り道に話していたこと。
「大人になったら一緒にパチンコをやろうな」
だけど、いつの間にか大人になって、酒もほどほど、たばこも、パチンコもやらないまま。
そしてとしくんは東京でSEをしている。
元気かなぁ。
↑小規模な商店街であればあるほどグッとくるものがある
パチンコをめぐってはさまざまな意見があることも知っている。
その是非について、私は考えを持たない。
ただ、この光景が次第になくなっていくことがただただ惜しい。
↑かろうじて読み取れる「パチンコホール」の文字
消えゆくからこそ惹かれるのか
次第に姿を消していく、地方商店街のパチンコ店。
平成生まれの私は、楽しんだことも遊んだ思い出もない。
それでもいまはただ、その姿を目に焼き付けておきたい。
冒頭に登場した、私が商店街にたたずむパチンコ店を訪れたきっかけとなったパチンコ店。
先日訪れたところ…
↑閉店していた