私の身長は日本人男性の平均を下回る166cmである。
背の高い人を見るたびになんだかちんまりとした自分を恥ずかしく感じるし、もう少し背が高ければ女性にモテたのにという思いが絶えずある。
私の抱く劣等感の一つである。
でも私よりも身長の低い人は少なからずいる。
身体障害などで低身長の方がいるのも知っている。
私が自分の身長への卑屈を吐露すれば、何をそんな甘えたことを言っているのだと思うかもしれない。
あるいは、自分の恵まれた環境に気付かず贅沢な悩みをぶちまける痛いやつに映るかもしれない。
そう考えると何も言えなくなってしまう。
いわば「コンプレックス言えないコンプレックス」なのだ。
自分の滑舌の悪さにも大いに劣等感を感じているが、言語障害の方の苦労を思えば小さな悩みかもしれない。
言えない、コンプレックスだなんて言えない。
大学時代、日々どんよりとした感情に心が支配されていた。
何に力を注げばいいかもわからず、自分は何者でもないという事実に押しつぶされそうだった。
仕事も抱えていないお気楽な身分で何をそんなに悩むことがあったのか、と今の自分は思ったりするが、大学生には大学生なりに苦悩があったのだろう。
そういえば高校時代は高校時代で集団の中での自己のあり方というものに考えを巡らせて勝手に疲れていた気がするし、中学生のころは将来の自分の姿がうまく描けなくて怯えていたし、小学生の自分は周りと比べ自分のキャラクターの弱さが恥ずかしかった。
今の自分からすれば小さなことでも、当時の自分からすれば間違いなく大問題であり、ある視点からの単純な比較などできない。
ある悩みを「小さい」と測れるものさしはどこにもないのだ。
同じように身長166cmには166cmなりの悩みがあり、それは150cmの人にも180cmの人にも完全には理解できない。
180cmの人が抱く「自分は背が低くて」というコンプレックスを糾弾できないし、自分と同じ166cmの人が抱く「もう少し背が低いほうがよかったのに」という苦悩も否定できない。
わかる、わかるよ、そのコンプレックス。
控えるべきはコンプレックスを吐露することではなくて、一方向からの決めつけに基づく勝手な相対化。
大富豪だって、モデルだって、どんな悩みを抱えていたって甘えではない。
いいよ、言おうよ、そのコンプレックス。
私は他人のコンプレックスは理解できない、ということを理解している。