共感と陳腐の間で |
人として弱体化しているこの現象は何かに似ていると思ったとき、トンボの成長が思い出された。
ヤゴのときは水中で魚を食べてしまうのに、成虫になると逆に魚に食べられてしまう。
そんな話を友人にしたところ、
「それ、みやぞんが言ってたよ」
と言われてしまった。
どうやらお笑い芸人のみやぞん氏がテレビで、池で死んだトンボを見て切なくなったというエピソードを語ったようだ。
羽を手に入れたのと引きかえに水が苦手になったトンボ。
何かを手に入れ何かを失う、自分はそうはなりたくないとも。
やられたと思った。
考えも例えもニアミス、これはもうブログに書けないじゃないか。
この広い世界、近しいことを考えている人は少なからずいるわけで、何かを表現する際には二番煎じの恐怖は常につきまとう。
これまで同様の発想が各メディアで多発的に表現されてきたこともあっただろうが、インターネットが普及した昨今では、偶発的なアイディアの相似もパクりと捉えられかねない。
それでも私は、みながうすうす感じていながら言葉にしなかった、あるいはできなかったことを誰よりも早く言語化することをあきらめない。
よくぞ言葉にしてくれたと、多くの人の膝を打ちたい。
それでは、これまで多くの人が無意識に感じていながら言語化していなかったことを発表したい。
アニメのアンパンマンの次回予告の最後に、ジャムおじさんとバタコさんとチーズが声を合わせて何かを言うのだが、それが何と言っているか聞き取れないのだ。
…どうだろうか。
これは共感の嵐でありながら誰も言葉にしていないだろうと思いつつ、インターネット検索をしたところ、ヤフー知恵袋にて同様質問多数。
かびーん。