やつらには警戒しなきゃならない。
死んでいると思って油断していると急にジジジジっと大きな鳴き声を立てて暴れるのだ。
だからこの時期アパートの外廊下を歩くときは自然と忍び足になる。
あれは大学4年の夏。
就職先の決まっていなかった僕は、どこでもいいからと拾ってくれる場所を求めて、住んでいた東京と故郷の新潟を行ったり来たり。
その日も新潟に帰ろうと最寄駅に向かう道中、前方にスーツケースを転がしながら歩く華奢なシルエットを見付けた。
それは同じゼミに所属する女子で、彼女もまた就活に苦戦していたのだった。
「これから就活で地元に帰るところ」
速足で追いついた僕は聞かれてもいないのに説明する。
「がんばろうね」
自分も就職先が決まってなくてよかった、と思った。
圧倒的に立場が違う者からの励ましは、時としてナイフとなる。
「私たちはセミなんだよ」
少しの沈黙の後、彼女が言い出す。
「なんだよそれ」
「今は土の中で精一杯力を貯めてる
いつか地上に出る日のために」
脈絡があるのかないのか、僕を励ますつもりなのか自分を奮い立たせるつもりなのか。
ポジティブなその言葉が逆に彼女の苦しみを感じさせる。
「地上に出る前にコンクリートで舗装されたらどうすんのさ」
いじわるを言ってしまった、と思った。
「そのときは…どうしよう」
頼むからそんな顔しないでくれよ。
悲しげな顔が見たくないからじゃない。
影を纏ったその顔がいじらしくてどうしようもない。
「そのときは…俺が助けに行ってやるよ」
彼女は卒業式も出なかったから、最後に会ったのはゼミの追い出しコンパだったろうか。
あれから数年が経った。
僕は大学4年の秋になんとか内定を得た職場で働いている。
地元に帰って親類の経営する会社で働くといっていた彼女は、風の噂で心を病んでしまったと聞く。
彼女はまだ土の中?
それとも…
アパートの通路を出て、並木通りを歩く。
セミの声が響く中で、動かないそれがあちらこちらに。
横を通ってもジジジジッと暴れない黙ったままのそれを、ただ見つめた。