缶の午後ティーが飲みたくて |

最近缶のタイプの「午後の紅茶(ストレート)」って見かけなくなったと思いませんか?
昔飲んだ缶の午後の紅茶は、ノスタルジーによる美化ではなく本当においしかったと思うのだ。
缶の午後ティーが飲みたいぞ。
缶の午後ティーが飲みたい
現在25歳の私が小学生のころよく飲んでいた記憶のある缶の午後の紅茶(ストレート)。
なぜペットボトルではなく缶だったのかはわからないが、親に連れて行ってもらった外出先でよく飲んでいたこともあり、その味が記憶に深く刻み込まれている。

また缶の午後ティーが飲みたいのに、最近めっきり、いやまったく見かけないと思うのだ。
ひとまず缶の午後ティーを飲んだ記憶のある場所をたどり、探してみよう。
記憶を頼りにかつて午後ティーを飲んだ場所へ
思い出その①中学校へ向かう道中の商店
――私が小学生だった頃、兄の通う中学校の体育祭の応援に行った。
中学生たちがみな大人に見え、自分もいつかその中学に通うことがどうしても想像できなくて、落ち着かなくなった。
道中の商店前の自販機で買った缶の午後ティーを開けて、不安も一緒に飲みこんだ。
いつもの午後ティーが少しだけ苦く感じた。

その後中学校に通うようになってからもお世話になった商店。
缶の午後ティーはおろか、商店自体がなくなっており自販機も撤去されていた。
思い出の場所がなくなっているのはとてもさみしい。
思い出その②家族で訪れた森林公園
――家族で行った隣の町の森林公園。
そこには堤があって、家族そろって釣り糸を垂らす。
なんてことのない家族の休日。
甘すぎない午後ティーのストレートがちょうどよい。


家族でよく釣りをしに来た森林公園。
売店は往時のままだが、やはり缶の午後ティーは売っていなかった。
思い出③Jリーグ観戦帰りのドライブイン
――父親によく連れて行ってもらったJリーグ観戦。
アルビレックスは負けちゃったけど、スタジアムで憧れの選手を応援できる非日常がとにかくうれしい。
帰りに寄るドライブインで買う冷たい午後ティーが、そんな興奮を冷ましてくれた。
帰って宿題やらなくちゃ。




少年よ、2016年にはアルビレックスはJ2じゃなくてJ1にいるし、缶の午後ティーはペットボトルになるんだぞ。
缶の午後ティーは本当に少ないのか
はたして本当に缶の午後ティーは希少になったのだろうか。
新潟県第二の都市、長岡市は長岡駅周辺を歩き回り、自販機を調べてみた。


ひとまず午後の紅茶を出しているメーカー、KIRINの自販機を探してみるが、これがびっくりするほど見つからない。


「KIRINの自販機10台中、缶の午後ティーを置く自販機はありませんでした!」みたいな結果を求めていたのだが、雲行きが怪しくなってきた。
探し回ってもあまりにないので、
「あれ?KIRINって自販機事業から撤退したっけな?
なんかそんなニュースを目にした気がする…」
などと思ってしまった。
(実際はそんなニュースはありません)
それゆえにKIRINの自販機を見つけた時の感激はひとしお。



結局長岡駅周辺の自販機を探した結果、KIRINの自販機はたった2台。
そのうちどちらも缶の午後ティーは扱っていなかった。
サンプルが少ないゆえその希少性を証明する結果になったかは怪しいが、KIRINの自販機がなかなか見つからなかったことも含め、缶の午後ティーには容易に出会えないとわかった。
まさかの瓦解
缶の午後ティーへの思いを抱えたまま過ごしていたある日、思いがけず出会ったのだ。



ついに見つけた缶の午後ティー、感動もひとしおである。
ホットでの販売だったが冷たい午後ティーが飲みたかったため、冷まして飲む意味でその場では飲まず家持ち帰る。


確かにおいしいが、ハードルを上げすぎていたようだ。
それともホットの商品を冷まして飲んだのがいけなかったのだろうか、頭の中で思い描いていた超おいしい!は味わえなかった。
しかし缶の午後ティーの力はこんなもんじゃないはず。
そうだ、思い出も一緒に味わうんだ。


缶の午後ティーはおいしい
今回は少々ハードルを上げすぎたようで、おいしさが薄れてしまったのは否めない。
けれど、あのとき味わったおいしさは紛れもない真実。
人は思い出も一緒に味わっているんだなぁ、なんて陳腐な感想で締めたい。

※このエントリはデイリーポータルZの投稿コーナー「自由ポータルZ」に掲載されました